舞妓誕生を振り返る。カリスマ美容家IKKOさんから学んだ「プロ意識」の持たせ方とは|株式会社せん代表取締役「水野千夏」さんインタビュー vol.2

株式会社せん代表「水野千夏」さんインタビューvol.2です。前回の話をご覧になっていない方はまずは以下の記事をどうぞ。

目次

舞妓を選んだキッカケは「ちいさいな本」?

── そう言えば、この茶屋の計画(「会える秋田美人」の具現化)って、具体的にいつ頃から考えられていたことなんですか?

水野 んー…秋田にどうやったら人が来るかなっていうのはずっと考えていて…。どうしたらいいかなーって。ただ初めから(事業を始める前から)舞妓事業を絶対やろう!という風には思ってなかったんです。

── へー。それはいつぐらいまで?

水野 「秋田美人」っていう言葉は凄い気になってたんですよ。こんな素敵な言葉があるのに付加価値つけるどころかそれを全然活かせていない秋田が凄く嫌だったんです。それはホントずっと気になっていましたね。

それで何ができるかな~というのを考えて、秋田の何かを使って事業できないかなーと思って図書館に色々調べていたら、ホントたまたま芸者文化というのものに出会って…「これだ!」と思ったという感じです。

「あ」から順番に探し、辿り着いた「川反芸者」

── 「あ」から「い」「う」……と調べて割と早いタイミングで「か(川反芸者)」に辿り着いたというのはホントだったんですね(笑)。

水野 ホントですホントです!(笑)。もちろん「川反」への意識は少なからずあったんですけど…。そうですね、「あ」から見ていきました。それで川反のところはホントに本がたくさんあって…こんな小さな本もあったんですよ!!(指先で5cmくらいを示す)

── ちっさ!それ本ですか!?

水野 本です本です!こんーなちっちゃい本があるんですよ!!それで「なんだこの本は!?」と思って見てみると…凄く面白いんです。そこに川反芸者のことが書いてあるんです。

── へ~…。

水野 それで、それは持ち出し禁止だったんですね。紙の資料とか小さい本って持ち出せないじゃないですか。昔のこの大町(秋田市内の地名)の…

…これ起業する前に作った資料なんですけど(分厚いピンクのバインダーを取り出す)

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── うおぉぉ……すごい量…

水野 …あ、そうですねこーゆうのとか。(古い秋田の町並みの地図を広げる)

── あ…それ広げてる様子はどこかで見たことありますね。

たった10数年前まで存在していた「芸妓組合」に衝撃を受ける

水野 それで、こういうの見つけて「なにこれー!すごい面白いー!」と思って。これいつのだろう?って資料の日付を見てみると…(平成)13年か…という感じで。

── …え?平成13年?

水野 そう(少なくとも)平成13年までこの「芸妓組合」というのがあったんですよ。

── そんな最近まであったんですか??

水野 そう!そうなんですよ!そう思ったんですよ!!私も!!!

── う…千夏さんがかつて通過した感情、今僕辿りましたね(笑)。

水野 (笑)。そんな最近まであったんだ~…て。へー面白いなぁ〜と思ったんです。

これ、復活させたら面白いかなぁ?

── それは面白いですねー。あれ?だとすると…数がだんだん減っていたのはともかく、秋田に芸者さんがそれなりにいたのって…いつぐらいまでなんですか?10数年までは…いた?

水野 組合はあるんです。ただその中に誰が入っていたのか(芸者さんがいたか)は分からないんです。

── なるほど。組合はあったけど実態として芸者さんがいたかは分からない、と。

水野 そうなんです。それで今はもう組合があった建物も…(風俗店の)案内所になってるんです。

── もう全然使われなくなってたんですね…。

水野 そう、それで「これ復活させたら面白いかなぁ…」って思って。ホントそんな感じ(のことが舞妓を選んだキッカケ)でしたね…。

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── なるほど…ちっちゃい本の出会いから…(笑)。

水野 いや!ホント!…うん(笑)。なんかシリーズがいっぱいあるんですよ!その中の一つにあったんですよね…。

── たぶん秋田の「食」とか「伝統的な文化」とかそういうものが色々揃っているシリーズの本で…

水野 そうですそうです!

── その中に川反芸者の「巻」があったと…

水野 そうですそうです!!(笑)。

── それが舞妓を選んだキッカケだったんですねー。面白いな。

悔しさも噛み締めて。〜あきた舞妓が目指すところとは?

DSC_8117_fin2015.7.11に秋田市内にて行われた講演会にて撮影

先の話のあと少し休憩があり、雑談の中で出た「京都の舞妓さんと比べられて非難されることもある」という話題から話を再開。

── あーやっぱり「そんな簡単に舞妓なんて名乗るんじゃねーよ!」みたいな。そういう声は少なからずあるんですね〜…。

水野 うーん、そうですね。でも私たちは京都の舞妓さんを目指している訳ではないので…。もちろん素晴らしいなとは思いますし、ああいった品の良さを出せたらなとは思いますけど。

── うんうん。

水野 そう、そこは目指してるわけじゃないんです。あきた舞妓は秋田らしくというか…。だから何て言うか「京都の舞妓と比較すると~」と言われるのが、正直今は一番悔しいです。

── それは悔しいですね…。

水野 もちろん同じ世界に入っていったので言われるのは仕方ないんですけど。だからこそ「あきた舞妓の舞妓もいいね!」って言われるようなそういうサービスは作っていかなきゃなとは思います。

── 良いと思います。

水野 うん…そう。そんな今比較したってこっちはまだ一年で京都は何百年経ってるんだから!!…とは言いたくなりますけどね(笑)。

まぁ言い訳なっちゃうのでもちろん言わないですけどね…。「そうですね~」って。

── なんか…ちょっとヒクついてる千夏さんが想像つきます…(笑)。

水野 たぶん私顔に出てると思います。「は?」って(笑)。

一同 (笑)。

我慢出来ずに「じゃあもう遊ばないでください!!」

── 「いやそこを目指してるわけじゃないんです」という感情もあれば、注意頂くということは「あーまだまだ足りない部分があるんだなぁ」っていう感情もあり、という感じで。分かってもらえないな、というのと確かにその通りだな…というのと両方あって…

水野 そうなんです、色々悔しいんです。

── ですよね…。でもそんなのは、積み重ねていくしかないですもんね。

水野 そうです。これから何年、10年、100年とかけて作っていく文化なので。…でもたまに凄いこと言ってくる方には「じゃあ遊ばないでください!!」って言うこともあります。

── え、言うんですか!?

水野 言いますね。私たちもそんな姿お魅せするのはするのは失礼なので、と。でもそう言うと「いやいやそういうつもりで言ったんじゃないよ~」ってなるんですけどね。(手のひら返すような仕草を見せる)

── なるほど…(笑)。まぁお酒の席だからこその絡みみたいなものもあると思いますけどね。でも事業やってる身からしたら…真剣ですから。真面目に聞いちゃいますよね。

水野 そうです。だから今は酔っぱらってる席が正直あまり好きじゃないんです…。私がいくとそうやって言われるので…。そういうときは(我慢出来ないと)「今度叱咤頂戴に行きますね!どこがダメだったのかご教授ください!!」なんて思わず言っちゃうんですけど。

── ……ムキになってますね。

水野 ……まだまだ子供なんです。

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── (笑)。では、怒りを発散してもらったところで、次の話題にいかせて頂きますね。

水野 はい(笑)。

初お披露目を控えた2014年夏 〜カリスマ美容家IKKOさんとの出会いを振り返って

── 少し遡って事業が始まった頃の話を少しお伺いしたいなと思います。去年の8月の初お披露目の場が一つの山、という話を色んなメディアで拝見しました。そこに向けて舞妓さんたちの「プロ意識・美意識」を高めるにはどうしたら良いのかと、IKKOさんに相談をしに行かれたことがありましたよね。

水野 はい。

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── …IKKOさん、どうでしたか?

水野 いやぁー……恐かったですね。

── やっぱり(笑)。

水野 最初の印象は、やっぱり凄く恐い……でしたね。しかも連れて行ってくれたディレクターさんたちがIKKOさんがいらっしゃる部屋に着く直前のエレベーターの中で「水野さん…覚悟してください」って言ったんですよ。

── (笑)。

水野 「え!?…今言うそれ??」って思って…(笑)。そしたらもうエレベーターの扉が開いてすぐIKKOさんがいらっしゃって…

── うんうん。

水野 でもそのときに、これだけは絶対崩さないようにしようと思ったことが2つあって。それが「絶対に目を見て話すこと」と「挨拶をきちんとすること」。この2つだけ絶対ちゃんとやろうと。それは…何でかは分からないですけど、IKKOさん見た瞬間に思いました。

あとIKKOさん自分のことをすごく虐めてくるんだろうなとは思ってて、それはエレベーターでかけられた一言で一瞬にして分かったんです。それはもうしょうがないと。たぶんテレビのカメラも回ってるしそういうシチュエーションの方がきっと面白いんだろうなと、そう思ったんです。

── なるほど。

聞きたい!〜話を進める中で生じた心境の変化

635de1fbbb97d486113352c073dd3836引用:キミハツ|株式会社せん 水野千夏さん ムービー第4話

水野 ただ…、IKKOさんと話して行くうちに「なんでIKKOさんそんなに女より女らしいんですか!?」とか…そういうことを凄く素直に聞きたくなってきたんです。「なんでそんな美意識を高く持てるんですか!?」「どういう経験・考えを経て今のIKKOさんがあるんですか?」とどんどんどんどん…。

── うんうん。

水野 そしたらたぶん…IKKOさん嬉しかったのかなと思うんです、そうやって聞いてくることが。そこから全部、凄く色々話してくれたんです。あの撮影…4時間くらいかかったんですけど。

── あ、あれ4時間もやってたんですね?

水野 はい、ずーーーっと二人共話してました。それこそ水飲むヒマもなく…(笑)。でもIKKOさん本当にずっと凄く真面目に色々聞いてきてくれたんです。「これはどうなってるの!?」「収支は大丈夫なの!?」って。

── ありがたいですね。

水野 私はそれに対する答えを持ち合わせようとは思っていなかったんですけど…そういった部分は課題だったんです、今後の。でも「そこに対してはこう考えてます!」ということを自分なりに真剣に話したら「ちゃんと考えてるじゃない」って言ってくださって。

そのとき思ったのは人って熱意があれば色んなこと覆すことできるんだなって…、うん、凄く思いましたね。

── 素晴らしいです。

社長ではなく実業家?〜忘れられないIKKOさんからの言葉とは

水野 しばらくして撮影が終わってカメラがOFFになったんですけど…その瞬間またドキッ!として。

── ドキッと?

水野 いや、これもしかして今度こそホントに虐められるのかなって…(笑)。

── (笑)

水野 その後、最後にIKKOさんだけのインタビューの撮影あって、私その目の前にいたんですけど。「あなたのこと…社長じゃなくて『実業家』って呼んでもいい?」って「あなたにとって失礼な言葉じゃないですか?」って聞いてくれたんです。私は何お話して頂いてもかまいませんってお答えして。

そしたらカメラが回った瞬間に「最初はどんなやつがくるかと思った。徹底的に虐めてやろうと思った」って言ったんです。

6a8fad617051e8286cdf1e6bc6ae51c3引用:キミハツ|株式会社せん 水野千夏さん ムービー第6話

── こわ(笑)。

水野 そう、こわっ!て思うじゃないですか(笑)。でも話してみたらちゃんと考えてるってことが分かって。それで私もちゃんとそれに答えてあげたって言ってくれて。

── うんうん。

プロ意識の持たせ方。〜人をではなく「自分」が変わることの大切さ

水野 IKKOさんとお話をさせて頂いて思ったのは、色んな苦労をこれまでされてきてて、壁を乗り越えてきてて、芸能人だからこそのバッシングもきっと受けてきて…。精神的にも追い込まれることがある中で、それでも自分の志をぶらさないで自分のブランドを確立されている方なんだなぁと。なんかもう…涙が出そうでした!ホントに凄いなと…。

── 確かにうるってしてましたもんね。

水野 これだけ…これだけの人になるって相当大変なんだろうなと思いました。あとは「プロ意識」のことに関しても(相手を)変えようとするからダメなんだって。自分が変わりなさいってことを言ってもらって「あーホントそうだなぁ」と思いました。

今でも落ち込んだりすると「このままじゃなダメだな」と、自分が変わっていかないとなぁと。IKKOさんとお話できたことは…かなり経験値としてプラスになりました。

── ホントにそうなんだなぁ…と、今お話聞いて伝わってきました。

水野 (上手くいかないことがあっても)人のせいにするなってことなんだなっていうのは、ホント思いましたね。

── そうですよねー。細かいこと、やってほしいことを直接指示してやらされても相手って全然動いてくれなくて。そうじゃなくて「こういう風にしていきたいんだ!」っていうことを熱もって話して、自分の態度で示していると…「あーあの人のために付いてこう」みたいになりますもんね。そういうことをIKKOさんに意識づけてもらった感じですかね。

水野 そうですね、意識付けられましたね~。

── それにしても、一年経ったとは思えない感じで思い出せてそうですね…(笑)。

水野 昨日のことのようです…(笑)。


vol.2はここまで。事業に舞妓を選んだキッカケ、他の舞妓さんと比較され悔しい想いをした話、そしてカリスマ美容家IKKOさんとの出会いを振り返って頂きました。

次は事業を辞めてしまおうとまで思い詰めたこと、そういう沈んだ気持ちを救ってくれる瞬間、そして秋田に戻ってくる決心をした頃のお話です。東京で就職し、ほんの数年前まで社長なんて考えてもいなかった彼女の本音に迫ります。

(vol.3に続く)

今回お話を伺った方
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水野 千夏(みずの ちなつ)
株式会社せん 代表取締役社長
1988年生まれ。秋田県大仙市出身。2011年に大学新卒で都内の化粧品会社に就職後、2012年に秋田に戻り秋田の食品PR等を行う会社に転職。2014年4月に株式会社せんを設立し、かつて秋田の歓楽街を賑わせていた川反芸者を現代向けにリノベーション「あきた舞妓」として復活させる。現在は「会える秋田美人」を具現化するための事業である舞妓茶屋の設立にむけ奮闘中。
  あきた舞妓 -akitamaiko-




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