あきた舞妓事業を行う株式会社せん代表取締役「水野千夏」さんへのインタビューvol.3です。前回までの話をご覧になっていない方は以下よりどうぞ。
やめてしまおうかな…。事業を投げ出したくなった瞬間とは?
── 会社を設立されてから1年4ヶ月程になりますが、外から見ていると凄く順調に事業を進めてるように見えるんですね。でも伝統芸能(川反芸者)を「あきた舞妓」として復活させるということで「シガラミ」だったり、苦労した点も凄く多くあるかと思うんです。
これは辛かったなぁとか、もう止めてしまおうかなとか…。そういう心境になったことってありませんでしたか?
水野 ん〜……「2つ」あります…。
── 2つ。聞かせてもらえますか?
水野 はい、一つ目は…
自分の意思とはかけ離れた方針が原因で大バッシング
※写真はイメージです
一つ目は会社を立ち上げて間もない頃の話。水野さんの事業に期待を寄せ支援しようとする動きがある中で彼女の意思とは全く違う方向で話が進んでしまったものがあり、結果それが水野さんの意思であるかのように扱われ彼女が大バッシングを受けてしまった、といったもの。
── …オトナの都合の良いように、という感じですね。
水野 そのときは…(事務所の)下の駐車場から…。うん、三時間くらい車から出られなかったです。もうやめてしまおうかなと、リスクが少ない今のうちにって。
私…そんな風に言われるためにこの事業やるんじゃない!もっと純粋に!秋田を盛り上げていくためにやろうとしているのに!!って、そうなりましたね…。
── まぁ、なりますよね…。
水野 それでその場では「赤字のままが3年続いたらどうするんだ」っていう話も上がったです。もちろんそういう計画は立ててないですよ?でももし仮に自分が会社を経営していて赤字が3年続いてしまって、資金調達のためにまずせっせと動いてしまうのなら私はその会社は潰してしまったほうがいいと思ってるんです。
そんなお金をかき集めるために日々営業するなんてのは…会社じゃないじゃですか?でもそうやって質問頂いたので「そうなったときは見切りをつけて、状態を判断した上で止めなければいけないと思います」って、そう答えたんです。
── …そしたら?
水野 …「それだけの想いしかないのか」って。
── …殴りたい(笑)。
水野 だからそうならないために…っ!!!(私はそんな計画立ててない!!)と思ったんですが、そこはグッと堪えました…(笑)。そのときはホントに辛かったですね…。
つい先日!?〜会社への不満が爆発した話
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── それが一つですか?
水野 はい。もう一つは…凄く最近です。会社に対する不満がボンっ!!と社内で爆発してしまって…。
── え!?舞妓さん?
水野 あ、今は大丈夫ですよ!!でももう…どうしようもないくらいの状態に一週間前なってたんです…実は。
── ……一週間前?
この取材の交渉に筆者が水野さんの元に初めて訪れたのが丁度一週間前。
一同 ……(静かな時間が流れる)。
── なんか、凄いタイミングで……僕…来まし…た?
水野 そうですね(笑)。ある程度仕事に慣れてきたから出てきたことかなとは思ってるんですが…悩みましたね、どうしたらいいんだろうって。とにかく(彼女たちの)意見聞いて、言いたいことはいってもらって。私もダメなところはダメだし、ということも伝えて…。今はなんとか立て直しました。
── そうでしたか…。
水野 あ、でも!それはそんな悪いことだとは思ってないんですけどね。通るべき道というか。だから今はもう大丈夫なんですけど…。そうですね、割と最近そういうことがありましたという話です(笑)。
── 分かりました。解決したようで良かったです。…タイミング悪くて大変失礼致しました(笑)。
水野 いえー(笑)。
やってて良かった!!何より嬉しい「共感」の想い
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── ベタな展開で申し訳ないですが、逆にこれまであった「嬉しかったこと」。敢えて一つ挙げるとすればなんでしょう?
水野 そうですね。嬉しかったこと…。やっぱりお手紙ですかね~。
── 手紙。
水野 はい。「テレビを見ました!」みたいな感じで。そうですね…この方の手紙とかは本当に感動しました。(手紙を広げて見せてくれる)
── あ、ありがとうございます。…あれ、秋田の人?
水野 違うんです…、香川県の人なんです。
香川県の同世代の方から届いた共感の想い
お手紙は香川県にお住まいの同世代の男性の方からのもの。その方も地域を盛り上げようと、ご自身色々な取り組みをされているところ千夏さんの存在をメディアで知った模様。「同じ世代の人が奮闘している姿に感動しました!一緒に頑張って行きましょう!!」といった旨のメッセージが綴られたものでした。
── これは…めちゃくちゃ嬉しいですね。
水野 …はい……♩(本当に嬉しそうにする)。こういうのを「舞妓なんて上手くいきっこないよ」と言ってくる人に見せたい!って思うんです。「応援してくれる人がいるんです!だから私も夢諦められないんです!!」って。
── うんうん。
水野 その…自分が思ってることって本当に特別じゃなくて、こういう風に同じような想いをもって行動している人って凄くたくさんいると思うんですよ。やっぱりそういう人たちと、気持ちを共有できたり、共感してくれたりっていうのが正直何よりも嬉しいです。「あぁーー!!(嬉しい!)」って。
── なりますねー。
応援してくれる人(存在)の有り難さ
credit:Garry Knight – Put Them Together
水野 はい。こういうのを頂くと「(舞妓事業)やって良かったなぁ〜」って心から思えます。あと先日の講演(このインタビューの数日前に秋田市内で講演会があった)のときも、来場してくださっていた女性の方が終わった後話しかけてくれて。
その方が去年私が出ていた記事を切り抜いて「今でも手帳に入れて毎日持ち歩いています」っておっしゃってくれたんですよ。
── へぇー!凄い!!
水野 そのときも……もう。ありがとうございます!!!って言葉じゃ多分(感謝が)伝わらないっていうか…。そんな言葉で済ませてしまうなんて凄く失礼だなって…。でも結局「ホントですか…!?」「なんかすみません…」って感じになってしまったんですけど…。
── なんかすみません(笑)。上手い感謝の言葉が出なかったんですね。
水野 そうなんです!有り難過ぎて言葉が出なくて(笑)。そういう風に「いつも励みにしてます」って1人でもそういう風に言ってくださる方がいると…。そうですね、そういう人がいてくれることが一番嬉しいというか…そういうことが2ヶ月に一回くらいあります!
── いいですね〜。
みんなでやってきて良かった!
水野 共感しました!という声を聞くとホント「あー良かった!」って思います。それが一番嬉しい。みんなでやって良かったな…って思える瞬間ですね。自分だけじゃなくて、みんなで力を合わせてやったことがこういう共感を生んでいるんだなっていう。
(舞妓事業は)私だけがやったことではないので。私は考えただけなんです、やってくれたのはスタッフの皆なんです。
だから皆のやってきたことがこういう想いとして返ってくることが、本当に何より嬉しいです。
── 上手くいかない場合の声も自分だけに来るわけじゃないっていうプレッシャーも社長はありますしね…。
水野 そうですね…。なのでそういう声を頂いたときはすごく良かったなぁ〜って思いますね。
なぜ起業?〜秋田に戻る決め手となったこととは
2015.7.11に秋田市内にて行われた講演会にて撮影
── ガラッと話題を変えまして、そもそも「起業」をされたことついてお話を伺いたいなと思います。水野さんは2011年に東京で就職、2012年に秋田に戻って来られましたよね。
そのとき「5年後10年後の自分のこと」「(将来の)子育てのこと」「起業してみたい」等々…。色々キッカケとなる要素はあったと思いますが、今思うと何が秋田に戻ってくる決め手になってたと思いますか?
水野 生活レベルですね。生活レベルが低いなと思ったからです、正直…。
── なるほど。
水野 東京で働いているときに、自分の生活レベルがすごく低くなっているなって思ったんですね。まずお金が自由に使えない。
── でも秋田みたいな地方を出るときって、少なからず給料のこと考えて上京する方って多いと思うんですけど。東京に行ってもそんなに変わらなかったと?
水野 そうですね。変わらなかったですし…何か色んなことを我慢してました。それに今のままで5年10年暮らしていても、きっと変化がないというか。つまらないだろうなと感じたんです。なので自分の生活レベルを上げようと思って秋田に帰ってきました。
もっと人生を充実させたい!
── もっと違う時間の使い方があるんじゃないか、といった感じ?
水野 そうですね、もっと自分の人生を充実させたいというか…。そう、それで思いついたのが「起業」だったんです。「あぁ〜もう会社おこそう!社長になろうっ!!」って。
── いいアイデアだと思います(笑)。
水野 でも東京じゃ起業はムリだ…と思って。秋田に、という感じですね。
── なるほど。会社にいたらどこにいてもあまり変わらないなって思ったという感じですかね。東京にいれば子供預けるにも一苦労だし、お給料もそんなに変わらないし、色んな我慢があるし…。それくらいなら秋田で自分で会社を起こしてしまおうと。
水野 そうですね。作ってしまった方がいいかなぁと。
社長なんて全然考えていなかった。でも…?
※写真はイメージです
── じゃあ「社長になりたい!」というのは昔から考えてたわけではないんですね。
水野 そうです、全然です。
── なるほど。
水野 …ただ、昔から人と同じことをやるのは嫌いでした。それは高校からでしたね。高校の環境がそうさせたのかな?って。…あ、でも母に聞いたら(昔から)ずっとだったと言われましたけど(笑)。
ちなみに水野さんと筆者は同じ高校出身(学年が4つ違うので被ってはいない)。高校は県内一の進学校で部活動も活発、制服は一応あるが私服でもOKで(度を弁えていれば)茶髪、ピアスが許されるような割と自由な校風。
── ずっと。
水野 小さい頃は「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」ってくっついていくだったり、人見知りで他人にだっこされると泣きわめいていたりしたり普通の子っぽかったけど…なんかやっぱどっかちょっと変わってたって。興味を持つことが変だったって。
── どういうことですか?(笑)。
水野 んー…人と違うことに集中してたって言われます。あとそれは勉強じゃなかった…とも(笑)。
── そうですよね。勉強は「お姉さんの高校生活を見て憧れて必死にやった」ですもんね。
水野 そうですそうです。「なんて楽しそうな学園生活を送っているんだ~!」と思って…必死に勉強しましたね(笑)。あと、そう。中学生で部活やってたときも…
思ったことは実践しないと気が済まない!!
中学生のときの部活(バレー部)でリベロをやっていたが、やはり人と同じように部活をやるのは嫌だった。監督とあれこれ相談しながら自分が考えた作戦を伝え、チームで実践してきたという話をしてくれました。
── なるほど。思ったことを実践しないと気が済まないんですね…。
水野 そうですね。そういう部分が「変わってた」って母に言われます。
── 全然いいと思いますけどね。やりたいと思っていることを実際にできる人(行動に移せる人)ってなかなかいないじゃないですか。
水野 んーそうですね。今だとすごい良かったなーと思うんですけど、母は当時すごい困ってたんだと思います。「普通に育てたつもりなんだけどなぁ~」って、この前言われました。
── この前?(笑)。
水野 そうです。だから「いや、別にフツウだけど?」って言ってます。多分母も変わってる人なんだと思います。そうですよそうですよー。
── う、うん。きっとそう、なんで、しょうね…(笑)。
vol.3はここまで。当たり前ですが、順風満帆に見える舞妓事業も現在に至るまで多くの苦労があったようです。ただ、そんな話をしてくれながらも「それも経験、通るべき道」と語る姿がなんとも彼女らしいなと感じました。
さて、次は水野さんご自身の「仕事観」についてもう少し話を堀り下げて聞いていきます。彼女にとって仕事とは?働くことを通じて成し遂げたいこととは?
続きは次回、お楽しみに。
(vol.4に続く)
- vol.1:あきた舞妓2年目の挑戦。〜「会える秋田美人」具現化に燃える行動人の素顔に迫る
- vol.2:舞妓誕生を振り返る。カリスマ美容家IKKOさんから学んだ「プロ意識」の持たせ方とは
- vol.3:心の支えは「共感」。皆でやってきて本当に良かった
- vol.4:働くことを通じて伝えたいこと。今の秋田に感じる課題とは?
- vol.5:秋田の良さを具現化し、共感を生み出す。〜あきた舞妓が目指す姿とは
今回お話を伺った方
株式会社せん 代表取締役社長
1988年生まれ。秋田県大仙市出身。2011年に大学新卒で都内の化粧品会社に就職後、2012年に秋田に戻り秋田の食品PR等を行う会社に転職。2014年4月に株式会社せんを設立し、かつて秋田の歓楽街を賑わせていた川反芸者を現代向けにリノベーション「あきた舞妓」として復活させる。現在は「会える秋田美人」を具現化するための事業である舞妓茶屋の設立にむけ奮闘中。
あきた舞妓 -akitamaiko-