あきた舞妓事業を行う株式会社せん代表「水野千夏」さんへのインタビューvol.4です。前回までの話をご覧になっていない方はまずは以下よりどうぞ。
- vol.1:あきた舞妓2年目の挑戦。〜「会える秋田美人」具現化に燃える行動人の素顔に迫る
- vol.2:舞妓誕生を振り返る。カリスマ美容家IKKOさんから学んだ「プロ意識」の持たせ方とは
- vol.3:心の支えは「共感」。皆でやってきて本当に良かった
水野さんの「仕事観」。〜受け身だときっと全部つまらない!
※写真はイメージです
── ところで千夏さんの中で「働く」ということ、「仕事」というもの。ご自身の中ではどういう位置付けにありますか?単純に良い悪いで語るような話ではないですが「飯食ってくために働く」なんて考え方も少なからずある訳じゃないですか。
水野 うーん…もちろん生きて行く為にはしなきゃいけないコトですし「生きたいんだったら仕事しなきゃいけない!」と私は思います。
仕事に対して向かう姿勢というのはやっぱり人それぞれだなーっとは思うんですけど。働くって…悪いことではないじゃないですか、全然。むしろ凄く良いことじゃないですか。
── もちろんです。
楽しみは与えられない。自分で考え、行動して手に入れる
水野 そう、だから楽しいって思えるように自分で仕事も変えていかなければいけないと思うんです。それは職場を(変える)とかではなくて。
自分でその会社に入りたいって思ったのなら、請け負った仕事が一見楽しいと思えないものだったとしても、楽しむ方法だったり、手段だったり…。そういうことを考えて行動していく。それが「仕事をする」っていうことだと私は思います。
── うんうん。
水野 受け身になっちゃダメです!!受け身になってたら…たぶん……全部つまらないと思います。
── ……。
水野 ……?
── その通り!!
水野 (笑)。
あのとき気付いていれば東京で働き続けていたかも
── 確かに会社勤めだと知らず知らずのうちに仕事はやらされがちというか、受け身になりがちですけどそれでは面白くないですからね。
水野 そうですね。もちろん会社に勤めてらっしゃる方でも自分の考えを常に持って主体的に働くことは出来るだろうし、実際そういう方を私も知っています。
ただ自分が東京で働いているときは完全に「受け身」だったんです。だからあのとき意識が変わっていればもしかしたら東京で働き続けていたかもしれないな、というのは今思えばありますね。
── うんうん。
水野 もちろんそれは今だから気付けたっていう話ではあるんですけど。
── 違和感と向き合って考えて実際に行動して、結果気付けたと。だとすれば千夏さんにとって秋田に戻ってきた、起業したというのは凄く良いキッカケ・判断でしたね。
水野 そうですね、今はそう思います♩
「働く女性」として意識していること
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── 上京して就職して、地元秋田に戻ってきて起業して会社を起こして…というのは、同世代もしくは同級生の方々と比べてもたぶん珍しい道を歩んでますよね。
水野 そうですね、それはもう…良く言われます…(笑)。
── 何やってんの?千夏、と?
水野 はい(笑)。
── なるほど(笑)。
自分よりも「下の世代」に見せていきたい!
── 自分たちくらいの年齢になってくると「結婚・子育て」というのも少なからず仕事と合わせて意識するじゃないですか。千夏さんご自身は既にご結婚されてますが「働く女性」として何か意識していることってありますか?
水野 とにかく意識していることは「女性であること」をネガティブに捉えないで、全部強みにしていくってことですね。
あとは女性だからこそ結婚も出来て、仕事も出来て、子供も生んで、子育ても出来るっていう。「人生を謳歌出来る」っていうのを世の中に見せていきたいなと思ってます。子供が出来たから働けないとか、結婚したから専業主婦にならなきゃいけないとか…。今って世の中何か違うじゃないですか。
── そうですね。
水野 だから口だけじゃなく実際にやって。家庭も楽しい、子育っても楽しい、そして仕事もバリバリこなしているっていう。そういう姿を「自分よりも下の世代」に見せていきたいんです。
── 良いですね。「仕事をするってこういうこと」というのを若い頃から決めつけてしまっている人は多いと僕も良く感じているので、すごく共感です。
何が足りない?水野さんが思う今の秋田の「課題」
── そろそろ締めに向かわせて頂こうかなと思いますが、最後にあと2つだけ。今の秋田の課題とせんがこれから目指すところについて話を伺わせてください。
まずは前者から。千夏さん的に「これが原因で今秋田は活気がない」という一番の課題って何だと思いますか?
水野 ◎※×▽■っっ!!!!!!
── …書けないので却下です(笑)。
水野 (笑)。うーーーん…そうですね。「型破りな人がいない」ですかね。
── それは分かります、確かにそうですね。
水野 うーん…あとは上の世代(50、60代くらい)の方から若い人たちに勉強させてほしいというか…。今持ってる素晴らしい知識や経験をもっと私たちに伝えて欲しい!と思います。それができれば今の秋田はもっと変わるんじゃないかなと思いますね。
── なるほど。
良いタスキがほしい!?
水野 (自分たちの親世代くらいの)大人の方って若い人たちに諦めているのか、何も言わないことが多いじゃないですか。「そんなのは無理」というようなことだけワーって言って終わる、みたいな…。そうじゃなくて、今そういった方が持っている知識や人脈とかを、私たちにもっと渡してほしいと思うんです。
なんて言うのかな……タスキ?そう!良いタスキがほしいです!!(笑)。良いタスキをもらって、それをより良くして、繋いでいくっていうのが…秋田にはないんでしょうね。
── うんうん。
水野 今は…少し削って…ハイ、みたいな。そうやってこの半世紀で作り上げられたのが今の秋田じゃないですか。そうじゃなくてプラスのものをどんどんつけて行った物を受け継がせていかないとだと思うんですけど、そのままかむしろマイナスにして後世に残していくので…。そこがダメだと思います。
── 分かります。
水野 すっごく抽象的に話しました!(笑)。
── あ、大丈夫です大丈夫です!確かに言葉にしづらい部分ですよね…。
もっと良くしていく!という想いが絶対的に足りない
水野 んーそうですね…。「いいよな!そっちもそっちで頑張れよ!」という感じだったらいいんですけど。なんかこう…「それやったらどうなるんだ」とか「あいつとあいつはこういう関係なんだ」とか、何だかやりづらいなぁ…って。
あとは今悪い物を良くしようとするような想いが全体的に(世代に関わらず)足りない!と思ってます。
── うんうん。
水野 大人の人たちだけじゃないです!大人の人たちにハッキリ言えない若者もやっぱり悪いと思います!!
── そうですね。「このままじゃダメだ!秋田変えてくぞ!」みたいな若い世代の人間が今の秋田に自分たちの親世代の方々と同じ比率だけいたら
水野 絶対変わると思います。だからそう言わせないようにしている大人も悪いし、環境のせいにして何もしない若者も悪い。
── ですね。
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── なんて言うか「先輩の▲▲さん、秋田のためにこんな事業やってたから俺もなんかやってやろうかな!」みたいな。若い世代が「背中で感じる」ような機会をもっと増やしていきたいですね。
水野 うんうん。
── まぁ…凄い時間がかかりそうな話ですが…。
水野 そうですねー、時間はかかると思いますね〜。
── それでもとにかく続けて行くしかないですもんね、分かりました。難しい質問に答えて頂きありがとうございました!
vol.4はここまで。仕事に対する考え方、自身の姿で伝えていきたいこと、そして今の秋田の課題についてお話して頂きました。受け身になってしまっていた時期があるというのは凄く意外でしたが、そういった時期を経て今前向きに働いているからこそ、彼女の言葉は働き方に悩みを持つ人にとっても参考になりそうですね。
さて、いよいよ次が最後。インタビューの締めとして株式会社せん、あきた舞妓がこれから目指すところについてお話して頂きます。最後の最後に予想外のメッセージ(?)もありますのでどうぞお見逃しなく。
(vol.5に続く)
- vol.1:あきた舞妓2年目の挑戦。〜「会える秋田美人」具現化に燃える行動人の素顔に迫る
- vol.2:舞妓誕生を振り返る。カリスマ美容家IKKOさんから学んだ「プロ意識」の持たせ方とは
- vol.3:心の支えは「共感」。皆でやってきて本当に良かった
- vol.4:働くことを通じて伝えたいこと。今の秋田に感じる課題とは?
- vol.5:秋田の良さを具現化し、共感を生み出す。〜あきた舞妓が目指す姿とは
今回お話を伺った方
株式会社せん 代表取締役社長
1988年生まれ。秋田県大仙市出身。2011年に大学新卒で都内の化粧品会社に就職後、2012年に秋田に戻り秋田の食品PR等を行う会社に転職。2014年4月に株式会社せんを設立し、かつて秋田の歓楽街を賑わせていた川反芸者を現代向けにリノベーション「あきた舞妓」として復活させる。現在は「会える秋田美人」を具現化するための事業である舞妓茶屋の設立にむけ奮闘中。
あきた舞妓 -akitamaiko-